ダライラマ六世、その愛と死
宮本神酒男訳
7 初恋
ガワン・ギャツォがパサン寺で修行をはじめて四年の月日が流れた。彼の聡明さ、好学ぶりには教師らも賛美を惜しまなかった。嫉妬深い人をのぞき、だれもが彼を愛した。もし彼が心を乱すときがあるとするなら、それは母を想うときだった。
毎年正月が近づいてくると、帰郷のための一時休みの願いを提出したが、許可が出ることはなかった。四年の間に四度、休暇を願い出て、四度断られたのである。教師らの拒絶の理由はさまざまあったが、反論の余地を与えないことでは一致していた。
一回目、教師は言った。「学習しはじめてまだ一年だ。ろくに学んでいないのに家に帰るのはよくない。鍋の水が沸騰していないのに、さますようなものだ。そんなに急いで蓋をとってどうする?」
二回目、教師は言った。「おまえのお母さんはご無事と聞いている。それに生活のほうも寺のほうで面倒を見ている。おまえが戻っていったい何をするのだ? それよりも安心して勉学をつづけてほしい。若いときに学ぶのは、秋に耕すようなものなのだ」
三回目、教師は言った。「おまえはまだ幼い。道もよく知らない。何日で戻って来られるだろうか。学ぶのをやめたら、私も仏から罰を受けるだろう。外は寒く、道は滑りやすいのに、出て行ったらどういうことになるだろうか。苦労しておまえを送る人のことを考えてもみよ。うまくいかないときは、牛糞を拾うことができず、おまけに籠まで失くしてしまうものだ」
四回目、教師は言った。「仏教を学ぶ者は、家を恋しく思ってはならない。お釈迦さまは前世の王子の頃、自分の腿を切って鳩に食わせたり、その身を虎に捧げたりした。ひたすら慈悲、至善至美についてのみ考え、ご自分のことはかまわなかった。また父母には敬う気持ちを忘れなかった。おまえは仏教に縁深き者。高くそびえる雪山に登ったら、麓のことを恋しく思うべきではない」
ある雪が舞う日、ガワン・ギャツォは寺の窓辺でサキャ格言の一首を詠じた。
天下に国王はあまたいるけれど
法に従い、民を愛する王はきわめて少ない。
天上に神はあまたいるけれど
日月のように無私の者はきわめて少ない。
*訳注:『サキャ格言集』(今枝由郎訳 岩波文庫 p91)の訳とは微妙に異なる。
彼はほかの一首を詠もうとしたが、神経を集中することができなかった。彼は思った、世の中でもっとも深く、無私の愛情は母に対するものではないか。天上の神仙も地上の国王も母には比べられない。風雪が覆い隠した南の空を眺めるうち、幼い頃、母とすごした新年のことが思い浮かんできた。
父が死んだ翌年、牛の放牧から帰ってくる途上、ナセン叔父さんが言ったことを思い出した。チベットに昔、七人の将軍がいた。彼らは馬にうまく乗り、戦争をうまくし、弓をうまく射て、指揮をうまくとり、キャン(野生のロバ)と競争をし、野生の牛と戦うことができた。その話を聞いて身近にいた子牛と力比べをしたくなり、取っ組み合いをした。子牛を倒すどころか、彼のほうが逆に倒された。全身の体重が彼の左手にのしかかった。そのときは何の痛みも感じなかったが、帰宅後、腕が赤くなり、次第に腫れ始め、痛くてザンパ碗が持てないほどだった。母は叱責することはなく、かえって眉をしかめ、彼よりも痛そうなそぶりをした。毎日母は彼のかわりにザンパを握り、ひとつずつ彼の右手に渡した。夜、眠っているとき、腕がしびれたり、痛かったりすると、母は起きて彼の傍らに座り、赤く腫れた彼の腕を揉んだ。眠い目をこすりながら、懸命に揉む母……。一日働いて、睡眠を取っていたのに、また起きるなんて。その姿は授乳する母親の姿そのものだった。彼の腕の腫れが引き、碗が持てるようになってからは、母が夜間に起きるということはなかった。彼は後悔していた。なぜそんなに強くなりたいと思ったのか。なぜ牛と格闘したいと思ったのか。彼は将軍ではなく、子どもにすぎず、牛にかなうわけもない。なによりも後悔したのは、夜遅い時間、母に眠るよう頼まなかったことだ。反対に苦しそうな声をあげ、蜜のように甘い母の愛情を享受してしまった。つぎに会うときにはこのことを謝ろう!
ガタン! 突然部屋の戸が開き、母の幻影は霧散した。だれかがものすごい勢いで部屋に入ってきた。その眉毛、髭には氷が付着していたが、口からは熱い蒸気が出ていた。両手を開き、ガワン・ギャツォを包み込んで揺さぶった。
「ナセン叔父さん!」
「ガワン・ノルブ!」とナセンは獅子のごとく乳名を呼び、ガワン・ギャツォを懐に抱きいれた。擦り切れた皮衣の雪がナセンの顔の上で融けた。それが郷里の雰囲気を伝えていた。
何か言う前に、ナセンのほうから語り始めた。
「おまえのお母さんはおまえが勉強していて、戻れないことを重々承知だ。おまえのことばかりを思っているよ。いつも村はずれの石垣の上で北のほうをずっと見ているんだ。それで、いっしょに息子を見に行こう、と誘うんだが、頭を横に振って、勉強してるんだから邪魔するわけにはいかない、と答えるんだ。日に日に口数が少なくなり、日に日に痩せていった。病気になったわけではなく、孤独から来る病だったのだ。根が傷ついた木のようだった。葉は朽ち葉色になり、枝も枯れ……」
「叔父さん! お母さんに会いたいよ。いっしょに戻ろう。許可が出なくたって、一目会いたい」
「いや、だめだ、いまは勉学にいそしむときだ……。家のことはおれがすべてうまくやっているから……。」と言うナセンの声には涙が混じり、身体も捻じ曲がっていた。
「母はどうかしたの? 言ってよ」ガワン・ギャツォは叔父の衣の端を必死でつかんだ。
「し、死んだんだ。孤独の死だ。……でも昇天して、天上ではお父さんがいるから孤独じゃないさ」
ガワン・ギャツォは這うように露台に出て、空に向かって両手を広げた。顔色は雪よりも白く、頬が強張っていた。彼は長い間遠くを見つめていた。見つめていた風雪が巻いて空を舞っていた。けっして泣かなかった。
とても嬉しいとき、人は笑わない。とても悲しいとき、人は泣かない。彼はおとなの男になろうとしていた。
彼の胸のうちでは恨みの種火が生じていた。この種火は風雪を浴びることでかえって盛んになろうとしていた。彼は寺を恨み、教師を恨み、ポラ雪山さえ恨んだ。この石壁が母の愛を遮断し、経典が故郷を遮断したのだ。
母は孤独のうちに死んだ。その閉じられたまぶたには、老ラマと歩いていく九歳のわが子の姿が刻まれたことだろう。
子は憂鬱だった。閉じがたいまぶたには、北へ向かう子に手を振り、見送る母の姿が永遠に焼き付けられた。
北へ! 北へ向かう道は悲劇の道だ。彼はそう思ったが、その道はまだ始まったばかりだった。
ガワン・ギャツォは自分たちの手に負えなくなっていると、教師たちは感じはじめた。彼の目には怨恨の色が現れていた。また彼が郷里に執着しているのも哀れだった。占いをした結果、彼が妖魔に魅入られていることがわかった。彼をどこか新しい場所に移したほうがいいと教師たちは考えた。
十四歳の春、ガワン・ギャツォはツォナ・ゾンのゴンパ寺に移った。
ツォナはポラの北東にあり、それほど離れていなかったが、繁華街だった。もし繁華街ということばが当を得ているとしたらだが。当時のチベットでは、繁華街といっても数百、数十の家が並んでいる程度で、いくつかの商店や手工業の店があり、チャン(麦酒)を売る女がひとりかふたりいた。それでもガワン・ギャツォの目には大都会に映った。すべてが物珍しく、自由の海が広がっていた。
ガワン・ギャツォはここで勉学をつづけた。パサン寺に比べ、ゴンパ寺のほうが経典の数が多く、種類も豊富だった。
当時、チベットに学校はなかった。字を学び、書を読むためには、僧侶になるしかなかった。仏教寺は文字による文化を独占し、かつ保存した。実質的にそれは学校であり、図書館であり、芸術博物館だった。
ガワン・ギャツォはここで摂政サンギェ・ギャツォの『白瑠璃』、ダライラマ五世の伝記『ドゥクグラ』、その他『詩鏡注釈』『除垢経』『釈迦百行伝』『八千頌(般若波羅蜜経の一部)』、アティーシャの『菩提道灯論』、パドマサンバヴァの『五部遺教』、及び『大般若波羅蜜経』などを読んだ。
彼がもっとも興味を抱いたのは詩歌だった。それらはほかの著作のなかに挿入されたものが多かった。ついで哲学、歴史。仏典はそのあとに来た。もっとも苦手だったのは暦法と算命だった。公式や数字など人を煩わすだけで、深い思考とは無縁だった。
彼は次第に書物のなかに埋もれると、稀な幸福感を感ずるようになった。ここが彼の家だった。とはいえウギェン・リン寺を連想し、出生地、また少年時代のことを思い出すこともあった。遠くてもはや取り戻せない愛しい人の幻像が凝縮し、海底の珊瑚のように親近、尊敬、懐旧、感激、悲痛の五色の石となり、彼の心の底に沈んだ。
ナセン叔父さんを罵ったギャヤパじいさんを除く、彼が愛した村のすべての人々が、善良さ、純朴さ、天真さ、誠実さを備えていた。ああ、鷹や白鳩に気持ちを伝言してもらいたい。あるいは羽根が生えていれば飛んでいきたい。しかしここと村との間にははてしなく山並みが連なっていたのだ。
ふさぎこんでいた彼は街に出てみた。多くの人々は清貧にあえいでいた。波に揉まれ、いま、この世を生きていくのが精一杯の男女。それに比べると僧侶は来世のために静かに坐ればいい。とはいえ愉快なこともあれば、腹が立つこともある。経典には教えが書かれているが、結局のところ板に文字が刻まれただけの、曖昧なものにすぎない。家庭のなかはもっと流動的だが、つぎつぎに目新しいことが起こるのだろう。それらはそれなりに意味があり、価値もあるだろう。冷めていると同時に情熱的、無欲であると同時に意欲的。このふたつの迸る川はひとつにならないだろうか。もしひとつの川にならないなら、つまり、別の人生を歩むことはできない、ということなのか。彼は途方に暮れた。選択する能力はまだ自分にはないのだ。
この日、ふたたび街に出たところ、たまたまニンマ派の僧侶たちが隊列を組んで新婦を迎えていた。このような光景を、彼は少年時代見たことがなかった。それなのに今日は、かつて経験したような感覚に捉われたのである。たしかにこの目前のラマの位置から、美しい何かを見たことがある。目を凝らせ。ふたつの川はひとつになったのではないか? 情熱的で意欲的な川の流れを下ってきたのは、蓮の花のように清らかで美しい花嫁だった。
花嫁の腰にまとわれていたのは虹のように鮮やかなパンディン(前掛け風の民族衣装)だった。この女性の美しさには抗いがたい魅力があった。見かけが美しいだけでなく、生活ぶりもまた美しいにちがいなかった。彼女はじっとして動かないお飾りのような存在ではなく、しゃべることも笑うこともできる活発な男のようなところもあった。ガワン・ギャツォは彼女を見て羨望の念さえ抱いたのである。いや、と彼は考える。羨望って、彼女に羨望しているのだろうか。それともこのような娘を娶ることのできるラマに羨望しているのだろうか。
新婦を迎える隊列は去っていった。彼は向かいの雑貨店の玄関に立つ少女の目が彼とおなじ羨望のまなざしに光っていることに気づいた。さらに驚いたのは、少女は花嫁よりもさらに美しく、白い面にはほのかに赤みがさし、口元には恥じらいの笑みが浮かんでいた。なよやかな腰は痩せていたが、しなやかだった。戸にもたれかかるそのさまは傑作の仏像にも比せられる……。いや、あらゆる仏像は彼女より恰幅がよく、男性的特長を持っている。彼はパドマサンバヴァ三尊像を想起した。パドマサンバヴァは密教の開祖である。その三尊像の中間はパドマサンバヴァだが、左右は女性だった。そのひとりはチベット出身であり、もうひとりはインド出身だった。ガワン・ギャツォはこのふたりの美しさと長所の組み合わせは絶妙だが、目の前の少女にはかなわないと思った。生命力の火を燃やす人も、一旦冷えてしまうとその魅力を失ってしまいがちだ。ガワン・ギャツォは心の中で閃いた。もし彼女が自分の花嫁だったら、世の中の人はだれもが羨望せずにはいられないだろう。いや、待て、そんなことありえない。たとえすべてがうまくいき、運がよく、意のままになったとしても、許されるものではない。ここを去るのだ。寺に戻ろう。寒々しいあの川の中の寺へ戻るのだ。しかし彼の身体はまったく動かなかった。
少女は快く思っていないかのように頭を下げ、一瞬何かを考える風だったが、身を翻し、店の中に消えた。
彼は失望した。これは第一回目の失望だった。しかしそのまま立ち去るわけにはいかなかった。この地点、この店、このきれいな門と窓、それから周囲の目に付くものをしっかり記憶にとどめよう。このつぎに来たとき、間違えることはない。つぎこそはこの少女に会うことができるだろう。
彼は丹念に観察しながら、黙って記憶にとどめた。つぎに来たとき、間違いがないように、と考えながら、店の前を去ることができなかった。彼はじろじろと店を見た。小さく、古く、ぼろぼろで、店内の大部分を地元で取れた板が占めていた。板のないところはせいぜいひとりかふたりが坐れる程度の広さしかない。彼は記念になるものでもあればと何かを買おうと思ったが、だれも店にいなかった。そもそも板など必要なく、買いたいものはなかったのだが。ただ少女と二度と会う機会がないのではないかと考えたのだ。
このとき内庭の戸が開いて足音が近づいてくる音が聞こえた。春風が吹いて柳がゆらめくように、少女があらわれた。彼女は少年を一目見ると、可笑しそうに微笑んだ。炉から造りだされたような眼は語っていた。まだここにいると思ったわ。私をずっと待っていたのね。私もばかじゃないわ、真剣に私のことを思っているのね……。
彼女はさほど大きくない籠を背負い、鎌を手に持っていた。まとったパンディンはいましがた見た新婦のものとおなじように美しかったが、色調は柔らかく、目にやさしかった。彼女は簾越しに叫んだ。
「おばさん、わたし、草刈りに行って来るね」
「まだ草、あるんじゃないの? 二匹のうさぎ、どれだけ食べるの?」と簾の向こうから老婦人の声が聞こえた。
「ほとんどないわ、おばさん」と言いながら少女は目の片隅でガワン・ギャツォを一瞥した。その目は、待っていてくれたのね、失望させられないわね、と語っているかのようだった。少女は甘えた口調で叫んだ。
「今日はとても天気がいいわ。明日は一日中おばさんの替わりに店番するから。じゃ、おばさん、行って来るね」
「遠くに行かないでね。早く帰ってらっしゃい」とおばさん。
少女は水蛇が泳ぐように軽やかに走っていった。
ガワン・ギャツォはどうしていいものかわからず、ぼんやりとその場に立ち尽くしていた。彼女はどこへ行ったのか。いつごろ帰ってくるのか。彼女はなぜ一言も話しかけてくれなかったのか。ああ、なんてばかだったんだろう、どうして何かを買おうとしなかったんだろう。どんなものでもかまわない、石ころでもいい、彼女が触ったものはめずらしい宝石のようなものだ。
少女は数十歩進んだところで、ゆっくりと身体を回転してこちらを見た。彼女が自分を探していることに彼は気づいた。少女はまた向こうを向き、颯爽と歩いていく。
「おや、怒っているのかな。だれに怒っているのだろう」と彼はひとりごちた。「怒ってるって、ばかだな。いや、ばかじゃなくて肝っ玉が小さいんだな。男子たるもの、こんなことでひるんじゃ仕方ない」
少女がもう一度振り返ったとき、少年が自分のほうに近づいていることに気がついた。
ツォナの郊外。いたるところに暗緑の草地と生い茂った潅木。太った鳴きネズミが穴から出てきてキーキーと叫び、また穴に戻るさまがかわいらしい。
大きな岩の上に、五、六歩離れて、俊敏な少年と美麗な少女が坐っている。まわりは静かで、物音ひとつしない。彼らは恥ずかしそうに俯き、互いに大胆に見ることもできず、話しかけることもできなかった。
ここには街の人々も、店のおばさんも、だれもいなかったが、自由に話ができるのに、かえってふたりの間の高い障壁を除くことができなかった。純粋な愛情には崇敬の念があるものだ。崇敬の気持ちは往々にして臆病さをもたらす。このようなとき、人は自身のことばの貧しさを思い知らされる。知恵なんてなんの役にも立たない。
長い間、どちらも一言も発さず、我慢は頂点に達しようとしていた。
時間が経てば経つほど、心は近くなっていくように感じられた。なのに、話ができればと思えば思うほど、かえって遠回りをしてしまう。
「何ていう名なの」と少年が先に口を開いた。
「リンチェン・ワンモ。あなたは?」とすかさず問う。
「ガワン・ギャツォ。ラマにもらったんだ。もとの名はガワン・ノルブだった。きみ、年はいくつ?」
「十六よ。あなたは?」
「十四。ぼくのほうが年下だね」と言ってガワン・ギャツォはすぐに後悔した。余計なことを言ったような気がした。年下だなんて、説明するまでもない。
「さっきの花嫁、きれいだったね」少女はじっと少年を見る。
「きれいだった! 蓮の花みたいだった」
「蓮の花?」少女は嫉妬しているように見えた。
「でもきみのほうがきれいだよ」
「うそ!」少女はあやしむという風に目を見開いた。
「本当だよ」とガワン・ギャツォは不満そうに言った。
「じゃあそうなのね」と少女は安心させ、その実自身が安心していた。
また沈黙が流れる。転がっていた背負い籠が原野の風を浴びて、わずかに揺れているだけだ。
「わたしには蓮の花なんてないの」と少女はため息をつく。
「どうして?」
「知りたい?」
「もちろん」
「わたしのお母さんは、わたしがまだ話すことができない幼い頃、死んじゃったの。お父さんもラサの西のほうのずっと遠くへ戦争をしに行ったきり」少女は草を抜き、人差し指と親指でいじりながら、「行く前、わたしをここに預けたの。おばさんの家にはだれもいなかったので、ここで娘として育てられたの」
「もともとどこにいたの?」
「チョンゲよ」
「チョンゲ? 有名なところだね。吐蕃の国王の故郷で、たしか九つの墓があるとかいう。そうだよね?」
「そう。小さい頃高いところに住んでいたので、よく見えた。王墓は、真ん中にふたつあって、東に三つ、西に四つ、どれも小さい山みたいできれいだった。後ろにピロ山、前にヤルルン河、河の洲にもたくさん木が生えていて、チンコー麦の畑もあった。宮殿や寺は切り立った崖の上に、どうやってかわからないけど、くっついているみたいなの」
「ぼくは行ったことがないけど、用水路じゃないかな」
「そうなの? あなたはわたしより年下なのにたくさん知ってるのね」
「小さい頃から本を読んでいたからね。でもきみは直接見ているわけだし、勉強もしてるみたいだね」
「そうね」
半里ほど離れた大通りで、馬に乗って行く青年が声を張り上げて流行歌を歌っていた。
波が激しく揺れる川面
はじめて小船に乗る私
風よ、お願いします
ゆめゆめ小船をひっくり返さないで
心が揺れる初めての恋
はじめて味を知る私
恋人よ、お願いします
ゆめゆめ愛を捨てないで
彼らは歌を聞き、互いに見合い、また恥ずかしくなって俯いた。この歌には不思議な力があったのか、ふたりの間の垣根を取り払う作用があった。双方とも相手が溝を飛び越えてくれるのではないかと期待しながら、どちらも最後の勇気がなかった。
ふたたび沈黙が訪れた。もっと長い沈黙。もう耐え切れなかった。
「わたし、草を刈らなきゃ」と少女は立った。しかし動かなかった。
「ぼくがかわりに刈るよ」とあわてて彼は言った。
「あなたが?」
「できるよ。家ではいつもやってたんだ」
「家にはだれがいるの?」
「だれもいない」
「わたしといっしょなのね……」とため息をついて、少女は鎌を持ち、草深いところへ入っていった。
「ぼくも行くよ」ガワン・ギャツォは小走りに追いつき、鎌を少女の手から奪おうとして、その手をつかんでしまった。鎌は草の上に音もなく転がった。ふたりはその手を緩めることなく……唇を合わせていた。
からだを離すと、リンチェン・ワンモの顔に酔ったような赤みが現れた。彼女は心の中で思った。酒に酔うのってこんな感じかしら。からだがふわふわして、じっとしていられなくって、足元が揺れているみたい。
彼女はガワン・ギャツォを軽く手で押し、まわりを見ながら、「あなた、先に行って」と言った。
少年は将軍の命令を受けた兵士のように前を向いて歩いた。兵士と違うのは、勇猛に進んでいるのではなく、何度も振り返りながら進んでいることだった。
リンチェン・ワンモが家に戻ると、ちょうど叔母が玄関で客を送り出すところだった。この客は五十里離れた地方から来たというのだが、買ったのは皮を縫うための針一本だった。この針は英国からインド経由で来たものだった。当時、チベットでは、一本の鉄釘さえ産出されていなかったのだ。
「どうしてこれだけしか草を刈ってないの?」
「気分がすごく悪いの」とリンチェン・ワンモは取り繕った。
「だから行かないほうがいいって言ったでしょ。山の風に当たったのがよくなかったのかねえ。さあ、休んで。バター茶を作ってあげるよ」
叔母はそう言いながら手を伸ばして少女の額に当て、愛情をこめて言った。
「熱があるわねえ。あら、顔も赤いわ。この子ったら人の話聞かないもんだから」
叔母は背負い籠から草の束を取りながら、つぶやいた。
「老いた牛の肉はよく噛むもの。老いた人の話はよく聞くもの、と言うでしょう。私はあなたのお母さんの姉。でもお母さんみたいなものよ。どんなことでも話をよく聞きなさい。悪いことしちゃだめよ」
リンチェン・ワンモは部屋に入り、からだを横たえた。からだに悪いところは何もなかった。疲れるどころか、興奮状態にあった。からだのなかに弓があり、放たれた矢は幸福の的を射るのだった。
叔母は彼女の病が恋の病であることには思い至らなかった。老年に至り、善なる菩薩は大きな娘を彼女に与え賜うた。まるで天からの授け物のようだった。こんな娘を溺愛せずにいられようか。
叔母はケサンといった。ほかのチベットの女性と同様、若いときは何人もの愛人がいたが、育った子はなく、男の側からすると失望せざるをえなかった。金は銅になり、ちびで小太りの、ひょっとこのような顔の商人のもとに嫁ぐしかなかった。この男は金が好きで愛情などどうでもよく、命も粗末にしていた。結局、シガツェへ商品を運ぶ途中、強盗に遭い、殺され、その遺体が帰ってくることさえなかった。
ウー地方(中央チベット)とツァン地方の間にガンバラという高山があった。その北はヤルツァンポ河であり、南はヤムドク・ユムツォ湖だった。ここをギャンツェ、シガツェ、ヤートンへと通じる重要な道が通っていた。この山道には強盗が出没した。「英雄豪傑を見たかったらガンバラへ行け」という俗諺があるほどである。ケサンの夫はここで命を落とし、その遺体は深い谷底に投げ捨てられたのだった。彼女はとくに悲しいということもなかったが、また結婚しようとも思わなかった。ただ夫を通じて商売のことはすこし学んだので、生活を維持するため雑貨店を経営した。不幸が彼女を善良にし、孤独が彼女を孤高にし、特殊な経歴が彼女を特殊な性格の持ち主にした。およそ彼女の商売を手伝う人は、彼女の利益を貪るわけではないが、法外な便宜を得るわけでもなかった。二十数年、彼女を支えてきたのは能力ではなく、品行だった。生活を維持することが目的であり、蓄財にはさほど興味がなかった。彼女の置かれた境遇では、ほかの人がおなじ境遇でも、財をなすのはむつかしかっただろう。
お茶が煮える頃、リンチェン・ワンモが厨房に入ってきて、叔母のもとに駆け寄り、やんちゃな感じで言った。
「わたし、もう元気よ。おばさん、明日は外に出ても大丈夫。一日中わたしが店番するから」
「おや、おまえ、どうしたんだい」
リンチェン・ワンモが口をすぼめて笑うと、叔母もつられて笑った。
ガワン・ギャツォは寺に戻らず、荒野をあてもなくひたすら歩いた。林、川岸、草むら、石の堆積……。どこも、どの葉も、どの草も、どの花も、どの雲も、どの波も、どの小鳥も、天も地も、どれも愛情を与えられると思うと、それらに対し微笑まずにはいられなかった。自然はなんと美しいのだろう! 人の世界にも、どんなに美しいものが多いのだろう。本来的にそれらは美しいのか、それとも自分が美しくさせているのか? まちがいなく自分がそれらを美しくさせたのだ。不思議なことに俗諺も「ヤルルンの林は広く、チョンゲ人は美しい」というではないか。リンチェン・ワンモは美しいチョンゲ人のなかでもとりわけ美しいのだが。彼女はそこで美しくなった。朝靄、夜の霞、鮮やかな虹、太陽、月、星、それらが天空で美しくなるのと同様に。
このチョンゲの少女は彼のものなのだろうか。永遠にいっしょにいられるのだろうか。あす彼女は家にいるだろうか。毎日彼女を探し当てることができるだろうか。
ガワン・ギャツォは詩を作った。はじめての詩だった。彼は詩を愛したが、自ら詩を作り詠むことはなかった。内心に沸き起こった感情を詩にしているという意識はまだなかった。
人間ならだれでも持っている感情ではあるが、そのなかでもとくに強い思いだけを詩にすることができた。強い思いのなかでも、愛情と憎悪は強烈だった。このとき強烈な愛情が彼に詩を書かせたのである。初恋のなかで彼の処女作ができようとしていた。
寺に戻ろうとする時分には、夕日は西の山に落ちかけていた。暮色のなか、はるか遠くにゴンパ寺の輪郭が浮かんでいた。